臨床医としての資質

今、医学部受験が盛んになっているらしい。

医師という仕事が安定した仕事だから親が子を医学部受験に誘導しているのであろうか。子供も親の期待を受けそのまま頑張り続けるのだろう。

それが成功だと信じているのだと思う。

何をもって成功なのかはよくわからないのだが。

しかし、それで迷惑するのは患者本人と患者の家族である。

風邪やちょっとした病気で病院にかかるくらいなら毒にあまり当たらずに済む。

しかし、重い病気を患ったときには、医師といやでも深く関わりあわなければならない。死にいく患者とその家族との向き合いを真摯に向き合うことを考えている医師であればよいが、そうでない医師にあたったら最悪である。

患者やその家族は「病気という人質」をとられて言うことを聞かなければならない。

診察の際に忙しいためか、イライラして心無い言葉をかけられることもある。

病気に関して事実であることをそのままいわれることで傷つくことだってある。

そういう患者や家族はいるのである。

死に対して無頓着なのか慣れてしまったのか理由はわからないがそういう医師が少なからずいるということは現実である。

そういう医師に当たることですでに毒に当てられる。

第二の病気のはじまりである。

患者が「人」であることを忘れてしまっているのか、意識的に無視しているのかはわからないが周りから見ているとそのようにしか見えないのである。

それは回診の状況を見てもわかるだろう。病人相手に何か勉強道具かのように見て回る研修医もいるが何か間違っていることに気がつかないのであろうか。

後学のための回診だと思っても、姿勢や態度は病人をみるそれではない。

それを優秀な人材とみなしている周りにも責任があるのかもしれない。

単に試験で点数がとれるということだけが優秀であることの証ではないことがこの人たちを見ていればわかるだろう。

確かに外科医の話などを読んでみたりすると患者を「人」としてみていたら切れないと書いてあることがある。それはもっともだと思う。

もしそうであれば、外科医は臨床にたつべきではないと思う。

外科医は手術のみに専念すればいいと思う。あとの診察等は他のふさわしい臨床医に任せるほうがいいと思うのである。

そこで臨床医に必要な資質がでてくると思う。

それは気持ちだと思う。患者やその家族の気持ちを尊重することである。

たしかに病気を治すことは大事である。

しかし、今の医学では命の区切り方が重要な問題になってきていると思う。

命の区切り方。それはその人自身やその家族が決めるべきことである。

それには患者やその家族の気持ちを十分知る必要がある。

どこまで治療するのかをきちんと理解しておくことが重要になるのではないだろうか。

治療にのめりこむことが医師の仕事ではないと思う。

治すということに夢中になりすぎて、「人」という存在を忘れている気がする。

また頭の中では理解していても、行動を伴わないところを見ると

腑に落ちてはいないのだと思う。単に理解しているということだけである。

それだけでは足りないのだと思う。きちんと腑に落とすことが重要なのだと思う。

患者はただ治りたいだけではないのである。

QOLなど言葉はたくさんあるけれども行動には伴っていないことが残念である。

治療の前に患者の気持ちを優先することも必要なのではないだろうか。

少なくともそういう意識をもって患者に臨むことが必要なのだと思う。

何かの理由をつけてそういうことができない医師は患者に臨まないほうが

お互いのためにいいと思う。医師失格である。

死が迫っている患者を扱う医師であればあるほどきちんと考えてもらいたいものだ。

あんまり期待はしていないけど。